そろばんに、遺伝で決まらない部分を期待している話

「計算が得意な子」は、生まれつき決まっているのでしょうか? それとも、後からでも伸ばせるのでしょうか? これまでの記事で何度か、「行動遺伝学」という言葉に触れてきました。今回は、この分野について調べたことと、それが我が家のそろばんへの向き合い方にどう影響しているかを、一度きちんと整理しておきたいと思います。

先に断っておくと、これは「そろばんをやれば遺伝を超えられる」という話ではありません。むしろ逆で、遺伝の影響は思っている以上に大きいという話が出発点になります。それでも、そろばんに期待できる部分はあるのではないか、というのが今回の記事の趣旨です。

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「家庭の育て方」の影響は、思ったより小さい

そろばんについて調べる中で、行動遺伝学の本を何冊か読みました。そこで正直かなり驚いたのが、「共有環境」(きょうだいが同じように受ける、家庭の育て方や教育方針などの影響)の効果が、多くの能力について数%程度に留まる、という指摘でした。

「厳しく育てたから」「習い事をたくさんさせたから」といった、家庭ごとの方針の違いが、子どもの能力に与える影響は、私たち親が思っているよりずっと小さいということです。

これは、正直、親としては少し複雑な気持ちになる話です。ただ、この分野の研究者である安藤寿康先生(慶應義塾大学)自身も、遺伝の影響が大きいことと、教育に意味がないことは別の話だと述べています。遺伝的な素質は、それに合った環境や機会がなければ、そもそも発揮されないからです。

分かりやすい例で考えてみます。大谷翔平選手に野球というスポーツに出会う環境が与えられていなければ、その才能は誰にも気づかれないまま眠っていたはずです。将棋の藤井聡太名人も、小さい頃から将棋に触れる環境がなければ、名人位に到達することはなかったでしょう(将棋自体については、別の機会に詳しく取り上げる予定です)。遺伝的な素質は、あくまで「伸びる可能性」であって、それを引き出す環境や機会がセットになって初めて、実際の力として現れる。そう考えると、遺伝率が高いという話は、決して「環境や努力は関係ない」という意味ではないことが分かります。

安藤先生自身も、最初は「環境がすべて」と考えていた

調べていて興味深かったのが、安藤先生ご自身の研究者としての出発点でした。先生の卒業論文のテーマは、鈴木鎮一氏が提唱した「スズキ・メソード」というヴァイオリンの早期教育法だったそうです。

スズキ・メソードは、「人間は環境の子であり、才能は生まれつきではなく、母国語と同じ環境を与えてあげれば、子どもはどんな才能でも開花させることができる」というものでした。安藤先生は、この前提を科学的に実証しようと、大学院での研究をスタートさせています。つまり、当初はかなり「環境がすべてを決める」という立場に近かったわけです。

ところが、大学院で知能の遺伝・環境論争についての文献に出会い、行動遺伝学の論文を読み進めるうちに、遺伝の影響を明らかにする研究結果に次々と触れることになります。ご本人いわく、これは「目からうろこ」の体験だったそうです。研究を進めるほど、「才能は環境だけで決まる」というスズキ・メソードの前提とは、違う結論に近づいていった、ということになります。

ただし、安藤先生ご自身は、これを「スズキ・メソードは間違っていた」という単純な否定として語ってはいません。教育が重要であることに疑いはなく、それと同時に遺伝の影響も重要であって、その両方をどう両立させる理論を築くかが大事だ、という考え方に至った、という語り方をされています。「環境がすべて」という出発点から、「遺伝も環境も、両方が重要」という、より統合的な視点にたどり着いた、という経緯だったようです。

そもそも、この分野の研究はどうやって行われているのか

こうした研究は、どうやって明らかにされているのでしょうか? 行動遺伝学では、一卵性双生児と二卵性双生児を比較する、という方法がよく使われます。

一卵性双生児は遺伝的にほぼ同じ、二卵性双生児は遺伝的には半分だけ同じ(きょうだいと同程度)です。同じ家庭で育った一卵性と二卵性を比べて、一卵性の方がより似ていれば遺伝の影響が大きい、二卵性でもあまり差がなければ環境の影響が大きい、と判断します。

安藤先生は、この双生児法による研究を日本で長く続けてきた研究者です。学業成績についての研究では、一卵性双生児の類似度(相関係数)が0.75程度、二卵性双生児では0.45程度という報告があります。一卵性の方が明らかに似ている、つまり学業成績にも遺伝の影響がある、ということになります。

(安藤先生の考え方は、著書『教育は遺伝に勝てるか?』や『遺伝子の不都合な真実 すべての能力は遺伝である』で読めます。)

「遺伝率」という言葉自体、実はよく誤解されています

ここで、そもそも「遺伝率」という言葉の意味を、一度きちんと確認しておきたいと思います。というのも、この言葉自体が、かなり誤解されやすいからです。

「計算力の遺伝率は50%」と聞くと、たいていの人は、こう考えてしまいます。「自分という一人の人間の計算力のうち、半分は生まれつきの遺伝で決まっていて、残りの半分は努力で伸ばせる」と。私自身も、最初はそう思っていました。

でも、これは誤解だったようです。もっと分かりやすい例で説明してみます。

畑にトウモロコシの種をまくとします。同じ袋に入った種でも、遺伝的な個性は少しずつ違います。この種を、半分は栄養豊富な良い土に、残り半分は栄養の少ない悪い土に植えたとしましょう。

良い土のグループの中だけを見ると、育ちの良し悪しの差は、ほぼ種そのものの違い(=遺伝)で説明できます。土という環境はみんな同じだからです。悪い土のグループの中でも同じことが言えます。

ところが、「良い土のグループの平均の高さ」と「悪い土のグループの平均の高さ」を比べると、これは種の違いではなく、土(=環境)の違いによる差です。

「遺伝率」という数字は、この前者、つまり「同じような環境の中で育った集団の中で、個体差のうちどれくらいが遺伝で説明できるか」を表しています。「一人のトウモロコシの育ちの50%が遺伝で決まる」という意味ではなく、「集団で比べたときの差の50%が、遺伝の違いで説明できる」という意味なのです。

もう少し、この「集団の差」というところを噛み砕いてみます。人間、特に子どもの計算力で考えてみましょう。

小学校のあるクラスに、30人の子どもがいるとします。同じ担任の先生から、同じ教科書・同じ授業時間で、1年間算数を習いました。学校という環境は、この30人にとってほぼ同じです。それでも、1年後のテストの点数には、当然ばらつきが出ます。速く正確に計算できる子もいれば、時間がかかる子もいます。

このクラス30人の点数のばらつき(=差)のうち、「半分くらいは、遺伝的な違いで説明できそうだ」というのが、遺伝率50%という数字が意味していることに近いです。学校という大きな環境はみんな同じなので、それでも生まれる差の一部は、生まれ持った特性の違いだと考えられる、というわけです。

「ばらつき」って、具体的にどう測るの?

ここで一つ、補足しておきたいことがあります。「ばらつき」というと、多くの人は「一番できた子と、一番できなかった子の点数差」をイメージすると思います。例えば、最高点100点、最低点60点なら、「40点のばらつき」というイメージです。

でも、遺伝率で使われる「ばらつき」は、これとは少し違います。もっと丁寧に、クラス全員のデータを使って測ります。

やり方はこうです。まず、クラスの平均点(例えば80点)を出します。次に、30人一人ひとりについて、「自分の点数は、平均の80点からどれくらい離れているか」を計算します。

  • Aさん:95点 → 平均から15点離れている
  • Bさん:60点 → 平均から20点離れている
  • Cさん:82点 → 平均から2点離れている
  • ……(これを30人全員分やる)

そして最後に、この「平均からの離れ具合」を、30人全員分ならして(平均を取って)、クラス全体としてどれくらいバラついているかを表す一つの数字にします(統計学では、これに近い考え方を「分散」と呼びます)。

なぜ、わざわざこんな面倒なことをするのでしょうか? それは、「最高点と最低点の差」だけを見ると、たった2人のデータしか反映されないからです。例えば、その日たまたま1人だけ体調が悪くて60点しか取れなかったとしたら、「40点の差」という数字は、その1人の偶然の不調に大きく引っ張られてしまいます。

一方、「全員の離れ具合をならす」というやり方であれば、その1人の不調は、30人分のデータのうちの「1つ」でしかなくなるので、極端な事情に振り回されにくくなります。一部の人の特殊事情ではなく、クラス全体の実態に近い数字が出せる、というわけです。

「遺伝率50%」というのは、この「クラス全員の、平均からの離れ具合をならした数字」のうち、半分くらいが遺伝的な違いで説明できる、という意味になります。最高点・最低点という2つの極端な数字だけで語れる話ではない、というのがポイントです。

「50%」は、感覚的にどれくらいの重みなのか

「50%」と言われても、実感が湧きにくいと思うので、他の身近な特性と比べてみます。

  • 目の色:遺伝率はほぼ100%に近いとされています。育った環境がどうであれ、生まれ持った遺伝でほぼ決まります
  • 話す言語(母語):逆に、遺伝率はほぼ0%です。生物学的な親が何語を話していたかに関係なく、育った環境で話されている言語を、そのまま自分の母語として習得します
  • 身長:栄養状態が十分な環境であれば、遺伝率はおよそ80〜90%程度とされています。周りの子と比べて背が高いか低いかは、ほとんど遺伝で説明できてしまいます

目の色(ほぼ100%遺伝)と、母語(ほぼ0%環境)が両極端だとすると、遺伝率50%は、ちょうどこの中間、遺伝と環境が綱引きでほぼ互角という状態です。身長のように「ほとんど遺伝で決まってしまう」領域とは違い、環境・練習の影響がしっかり効いてくる余地がある、ということになります。

この「50%」という設定は、架空の数字ではありません

ここまで、説明のために「遺伝率50%」という数字を使ってきましたが、これは決して都合よく作った架空の設定ではありません。安藤先生の研究グループが、オーストラリア・オランダ・日本で共同で行った双生児研究では、知能の遺伝率は、いずれの国でも50〜60%程度という結果が報告されています。複数の国で近い数字が再現されているというのは、統計的にそれなりに信頼できる範囲だと考えられます。

ただし、これは子どもの時点での数字です。知能の遺伝率は年齢とともに上昇していく傾向があるため、大人になるにつれて、この数字はもっと高い水準(研究によっては70〜80%程度)まで上がっていくとされています(この「年齢とともに変化する」という点については、別記事「遺伝の影響が大きくなる前に、そろばんを始める意味」で詳しく取り上げています)。子どものうちは、大人になってからと比べて、環境の影響がまだ相対的に大きい時期だ、というこれまでの話とも、うまくつながってきます。

ただし、ここでとても大事なポイントがあります。「差の残り半分」は、遺伝以外の要因、つまり環境によるものだということです。しかも、この「環境」には、家庭の教育方針のような大きな話だけでなく、「その日たまたま集中できたか」「宿題にどれだけ丁寧に取り組んだか」「たまたま得意な単元だったか」といった、一人ひとりに固有の、細かい経験の違いも含まれます。

つまり、遺伝率が50%だとしても、「クラスの中で、その子がどこに位置するか」は、遺伝だけでなく、本人が積み重ねてきた取り組み方によっても、十分に変わりうるということです。「うちの子の計算力の半分は遺伝で決まっていて、もう半分しか伸ばせない」という考え方は、そもそも数字の読み方として誤りだということになります。遺伝率という数字だけを見て、「どうせ遺伝で決まっているから」と諦めてしまうのは、統計の意味を取り違えた早合点だと言えそうです。

(この数字や研究の背景は、『日本人の9割が知らない遺伝の真実』にも書かれています。)

ネットで見かける「科目別の遺伝率」には要注意

行動遺伝学について調べていく中で、一つ注意しておきたいことがありました。

SNSなどで、「音楽92%、数学87%、体育85%、暗記56%、英語50%」といった、科目別の遺伝率の数字が、安藤先生の著書からの引用として出回っているのを見かけました。

ただ、これは切り取り方に問題があるという指摘があります。元になった調査は、正式な学力テストではなく、簡易的な自己評価に基づくものだったとされており、「数学87%」のような具体的な数字を、そのまま鵜呑みにするのは適切ではないようです。

行動遺伝学は、こうしたセンセーショナルな数字だけが独り歩きしやすい分野でもあります。この記事でも、具体的なパーセンテージはあえて使わないようにしました。「傾向として、遺伝の影響がある」ということと、「この数字が正確である」ということは、別の話だと考えています。

よしろう先生の「計算能力は中の下」という話

行動遺伝学を調べる中で、そろばんに希望を持たせてくれたのが、そろばん十段・暗算十段のよしろう先生(かじつそろばん教室)のエピソードでした。

よしろう先生は、遺伝子検査サービスで自身の能力の遺伝的傾向を調べたところ、計算能力については「中の下」という結果だったそうです。それでも、そろばんによる圧倒的な計算力を身につけ、全国大会での優勝など、そろばんの世界で高い実績を残しています。

先生自身の説明によると、その力の源は、そろばん式暗算を通じて身につけた「数と視覚の共感覚」にあるとのことです。数字が記号としてではなく、そろばんの珠のイメージとして直接認識されるようになる感覚を、長年の訓練によって培ったということでした。

もちろん、これはあくまで一つの個人の体験談です。「遺伝的な計算能力が低くても、訓練によってここまで到達できる」ということの科学的な証明にはなりません。計算能力の遺伝子が中の下だったとしても、真面目にコツコツ取り組める性質や、繰り返しの練習を苦にしない性質など、そろばんの上達を後押しする別の資質に恵まれていた可能性もあります。一概に、環境だけがすべてを変えたとは言い切れません。

それでも、そろばんを長く続けている人たちを見ていると、もともとの能力には差があっても、どんな人でもある程度のところまでは伸ばせているように感じます。この「ある程度」という部分に、私は結構な希望を持っています。仮にうちの子の計算能力が、特別優れているわけではない、平凡なものだったとしても、続けてさえいれば、ある程度のところまでは、だいたいの人が到達できるのではないか。それが3級なのか、2級なのか、あるいはもっと上なのか、具体的なところはまだ分かりません。それでも、そろばんという習い事が持つ、そういう可能性を信じてみたくなりました。そう考えると、少なくとも「一定のレベルまで到達できるかどうか」については、環境(つまり、どれだけ取り組んだか)の影響は、思っているより大きいのではないかと思います。生まれ持った能力だけがすべてではない、という一つの実例として、私はかなり勇気づけられました。

そろばんを習得するのに時間はかかりますが、粘り強く続けてそろばん式暗算を一度身につけさえすれば、簡単に忘れることがないでしょう。それは一生モノの財産と言えると思います。ただ、これは遺伝的な向き不向きを「乗り越える」という話ではないのだと思います。遺伝から完全に逃れられるわけではありません。生まれ持った特性とうまく付き合いながら、それでも積み重ねた時間の分だけ、着実に前に進んでいけるのが、そろばんの魅力だと思うのです。

まとめ、そして続きの話

ここまでを踏まえて、我が家がそろばんに期待していることを、簡単に整理しておきます。

  • 「頭抜けた才能」がなくても、積み重ねによって力を伸ばせる可能性があること
  • 息子の遺伝的な素質がどうであれ、それを試す機会そのものを用意してあげたいということ

そろばんをやれば必ず計算が得意になる、と単純に考えているわけではありません。それでも、何もせずに可能性を閉じてしまうよりは、まず機会を用意してみたい。そう考えて、我が家はそろばんという選択をしました。

なお、「なぜ幼児期から始める意味があるのか」「無理をさせないことの理論的な裏付け」「この考え方は大学受験にも当てはまるのか」といった、より発展的な内容については、別記事「遺伝の影響が大きくなる前に、そろばんを始める意味」で、続けて取り上げています。

次回は、「遺伝の影響が大きくなる前に、そろばんを始める意味」について書きます。


参考文献・参考資料

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